子規の庭園

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奈良坂を般若寺から今在家を通って下っていくと東大寺の転害門(てがいもん)にたどり着きます。この南側に江戸時代末期から明治・大正にかけて對山楼角定(たいざんろう・かどさだ)という旅館があり、正岡子規が1895年に
 
秋暮るる 奈良の旅籠や 柿の味

と詠んだと記されています。
同じく
 
柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺
 
の句も、本当はこの旅館で聞いた東大寺の梵鐘の音を、法隆寺と置き換えたものです。東大寺より法隆寺のほうが語感がよいのと、ひなびた雰囲気が出ていると考えたのでしょうか。
この柿の木が現在この地に建つ日本料理店「天平倶楽部」に残っていることがわかり2006年 庭園が築かれました。柿の木は庭園最上部にありましたが、柿はまだ5cm程度の青いものでした。あと1ヶ月もすれば色づくはずです。
8月12日(火) 墓参の帰りにここで昼食を採ったあと庭園を撮ってみました。
 
このあたりは土地勘があるのですが、ここで食べるのは初めてです。庭園を観ながら「かぐや姫御膳」というのをノンアルビールとともにいただきました。
 
トップは池に浮かんだアメンボです。池は上下二段になっていて、東大寺境内の木々が借景になっていて2階に昇ると正倉院がみえます。
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06:食事どころからガラス越しに庭園が見えます。